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しおり市長の市政報告書 vol.12
1年10ヶ月前2月3日午前11時47分 しおり市長の危機から、1年10ヶ月前。 激しい市長選挙の末、しおり市長が天童市長になった2ヶ月後だった。 その年の冬は、記録的な大雪に見舞われた。 天童市は、山形県でも雪が少ない市だ。それでも12月から3月まで降雪があり、一面の雪景色にはなる。ただ、都会の人が想像するような「豪雪地帯」ではない(暖かい地域の人には、東北は冬になると二階から出入りすると思っている人がいるようだ)。天童は、せいぜい積もっても膝下くらいまでの雪だ。 しかし、この年は違った。
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しおり市長の市政報告書 vol.11
6月12日午前9時5分 それから二ヶ月後。 私は、乱川の河川敷で、草刈りをしていた。 他にも、30人ほどが作業している。もちろん黒田さんの姿もあり、黒田さんが連れてきた地域の人達もいた。しかしそれだけでなく、天童の各地から人が集まり、そして建設業者の人たちの姿も見える。 「いやあ、市長も来てけるなて(来てくれるなんて)、ありがだいにゃあ(ありがたいなあ)」 しおり市長も、みんなに混じって草刈りに汗を流していた。 普通のジャージ姿なのに、なぜか華やかだ。
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しおり市長の市政報告書 vol.10
4月22日午後4時23分 人間将棋のオープニングから、前座のイベント、本番の人間将棋と進んだが、しおり市長もその間、挨拶やら合戦開始の合図などの出番があり、結局、乱川の現場にむかえたのは夕方になった(まあ、私も対局スペースの手伝いがあったし、黒田さんも農協の直売所を手伝っていたから、ちょうどよかったが)。夜にはプロ棋士の接待など、市長も結構忙しい中をぬっての現場視察となるが、しおり市長は疲れた様子もない。 山に車を乗り入れるのに予想通り苦労したあと、私はしおり市長と黒田さんを舞鶴山山頂でピックアップした。 しおり市長を乗せて市内を走るのは、自転車に二ケツしていたころから変わらない。
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しおり市長の市政報告書 vol.9(第二章)
しおり市長の危機から、少し前。 織田市政がはじまって二年、私がどれだけあの小悪魔に振りまわされてきたか、市民の皆様に報告したいと思います。 第二章 2月閉会中~4月閉会中 4月22日午前8時31分 しおり市長の危機から、半年前。 その日は、天童最大のイベント「人間将棋」の日だった。 4月末の土曜日。寒かった冬を越えて、ワクワクするような春の陽気だった。私は、春になるとテンションが上がるタイプだ(そういう人間は、躁鬱の気があると言われたことがある)。いい気分で、舞鶴山を歩いて登っていった。
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しおり市長の市政報告書 vol.8
12月9日~年末 次の日から、天童市役所は大混乱に陥った。 マスコミがよくやる手だ。前後の文脈を切って、失言をつくりだす。 しかし、こんなにひどいものは初めてだ。予想に反せず、松永春樹のしわざだった。悪意に充ち満ちて、市長の暴言をつくりだした。放送したテレビ局と同列の新聞も、次の日、織田市長の議員への「嘘つき」発言と、「農業軽視」「土木工事強行」を報じ、しかもなぜか「環境破壊」までおまけについていた。 しかも、やり方が巧妙だ。
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しおり市長の市政報告書 vol.7
12月8日午後5時48分 夕方、市議会からの帰り道。 暗くなるのが早い12月の夜道を、私はとぼとぼと歩いて帰っていた。 あれから全議員に、今回の件を穏やかに済ませてくれるよう電話をかけまくった。当然、「なんでお前がそんなこと言ってくるんだ」っていう反応が返ってくるが、議長の意を受けて私が根回ししていることを匂わせつつ、市長を支える議員については、反市長派への攻撃なのだからとなだめすかし、反市長派の議員には、これ以上騒ぎ立てると得はないぞと脅し、と、それぞれの議員に合わせた説得に当たる。
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