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しおり市長の市政報告書 vol.18
1年半前8月11日午前9時55分 しおり市長の危機から、1年4ヶ月前。 その夏は、大変暑かった。8月のその日も、うだるような暑さだった。 山形盆地の夏は暑い。観測史上最高気温の記録は、ながらく山形がもっていたくらいだ。昭和8年7月25日で40.8℃の暑さを記録したときは、嘘か真か、木から蝉がぼとぼとと落ちてきたという。都市化が進む前の話だから、自然にそこまで気温が上がったというのは、まさに山形の地形がなすところだろう。
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しおり市長の市政報告書 vol.17
それから3年半後6月24日午後2時8分 それから3年半後。 私は、市長と松平組合長、そして毛利さんをぼろ車に乗せ、3年半前に通った上山口の道を走っていた。 「見事に実ったもんだねは(感嘆)」 「なりましたわねえ」 組合長の感嘆に、市長も感慨深げに答える。 耕作放棄地に、3年半前とはうってかわって、たくさんの立木がならんでいる。そこには、鈴なりの実がついていた。一見、桃のような果実。でも色は茶緑で、必ずしも美味しそうには見えない。
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しおり市長の市政報告書 vol.16
11ヶ月前11月2日午後12時18分 市長を私のぼろ車に乗せ、私は天童高原からの蛇行する山道を下っていた(乗ってきた公用車は帰したため、私が送ることになった)。 山から下る途中の田麦野地区、上山口地区の田畑を見つめながら、市長が言った。 「なにか考えんなねね(考えなきゃね)。こうした中山間の農地の荒廃は、里山の荒廃に直結すっから」 「田麦野地区は市長の卒業発表のテーマですからねえ。『天童市田麦野小学校の利活用と地域再生について』でしたっけ。思い入れもあるでしょう。頑張ってください」
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しおり市長の市政報告書 vol.15
11ヶ月前11月2日午前11時23分 しおり市長の危機から、11ヶ月前。 しおり市長が当選して、ようやく1年がたとうという秋。 11月のその日は、天童高原で新そばの賞味会があった。 またも天童高原。この年は雪でひどい目に遭った。さすがに11月にはまだ雪はなく、秋の紅葉が眼に鮮やかだ。今シーズンこそ、大雪でないことを願う。
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しおり市長の市政報告書 vol.14
1年10ヶ月前2月6日午前8時3分 次の日、私と上杉さんは、完全武装の雪対策装備で、スコップを握っていた。 目の前には、コンパネ四枚を垂直に四辺に立て、外周をひもでぐるぐる巻きにした、小さな壁のようなもの。 温泉街の駅からの通り、上杉組合長のホテルの前で、このコンパネを仕込んだあとは、道を占拠する雪を、そのコンパネの中の空洞に放り込んでいく。ある程度内部に雪が詰まったら、一人が入って雪を踏み固める。そうやって踏み固められて空いたスペースに、さらに雪を放り込み、踏み固める。これをひたすら繰り返す。 汗だくになった30分後。
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しおり市長の市政報告書 vol.13
1年10ヶ月前2月5日午前10時13分 二日後、月曜日。 私は市役所の建設課に顔を出していた。 私の携帯には、朝からもう数本の電話が入っていた。曰く、「うちの前の道路の除雪がなっていない」「除雪に来るのが遅い」。だいたいは地元の田鶴町周辺からの電話だ。要は、市議会議員なんだから、市役所に口利きしてうちの地域を優先させろ、ということである。 だが、同じような電話は、二十二人いる各地の市議会議員全員にかかってきているのだ。つまりは、全地域からうちの地域を優先させろの要望が来ていることになる。