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しおり市長の市政報告書 vol.30
市議会議員立候補概略 あれはもう、4年前の7月のことだ。 当時私は、織田ケンイチ代議士のもとで働いて、3年が経っていた。 代議士の事務所で働く者はまとめて「秘書」と呼ばれるが(事務専門の人達は、事務員さんという位置づけの場合もあるけど)、同じ秘書でも内実はかなり異なる。
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しおり市長の市政報告書 vol.29
1月29日午前10時21分 次の日から私は、予定調和的にマスコミの批判にさらされた。 さすがにテレビで放映されることはなかったが、新聞に批判記事が載った。松永のテレビ局の系列の新聞の記事で、明らかに松永が要請して書かせたものだろう。どう読んでも、あの場にいなかった者に書ける記事ではない。報道機関は各々独立しているなどと言ってみても、いかにお互いに繋がっているかがわかる記事だ。まして同じ系列。そんな記事を載せさせることなど、松永には簡単なのだろう。
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しおり市長の市政報告書 vol.28
1月14日午前11時11分 その日は、「寒中引き抜きそば」の賞味会だった。 天童織田藩は、幕末の40年間にわたって天童を統治した。その時代、各藩から将軍家に、各地の名産品を献上する制度があったという。天童織田藩は、東北北海道では唯一、そばを献上していた藩だったらしい。「大成武鑑」という将軍家献上の品目一覧に、天童織田藩のそばの一項がある。 そば好きの山形県民、面目躍如の歴史事実だ。それを現代に復活させて商品化したのが、「将軍家献上寒中引き抜きそば」である。そばの実を東北特有の寒気にさらすことで、甘みを増したそば。天童が誇る大人気そば屋「水車そば」の社長が考案したもので、今では天童の麺組合が協力し合い、市内各店のそば屋ラーメン屋で食べることができる。
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しおり市長の市政報告書 vol.27
1月7日午後2時16分 私は、自分なりに方策を探ってみた。そのつもりだった。 しかし、鳥獣被害対策についても、中山間地の農業の問題も、環境の問題も、そんなに簡単ではない。 ぼろ車で、留山川ダムに隣接する田麦野地区に行ってみた。 留山川ダム、ダム湖の名称「天留湖」は、冬期間は雪により封鎖されている。ダムは立派に完成し、湖も水で満たされているが、それを取り巻く周辺整備、親水公園の工事は凍結されたままだ。整地だけされて、なにがそこに作られるのか、じっと雪の中で待っているはずだ。
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しおり市長の市政報告書 vol.26
1月7日午前11時7分 環境の問題は難しい。 私は松平組合長にレクチャーのお礼を言って、農協本所をあとにした。市役所はちょうど道路をはさんで向かいにあるから、ちょっと市役所に寄ってみようと思い立った。 市長室を訪ねると、秘書係の山内さんから「不在です」との答え。 すると、秘書係から見て市長室の反対側にある副市長室から、怒鳴り声が漏れ聞こえてきた。 「あんたたちは、自然や動物をなんだと思ってるんだ!絶対に告訴するからな!」 副市長室のドアが猛然と開く。中から出てきた男女5人組の一人が、憤然と捨て台詞を吐き、去って行く。私は呆然と見送った。
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しおり市長の市政報告書 vol.25
1月7日午前10時28分 中山間地域の農業は難しい。 これはまあ、想像がつくことだろう。 昔話のイメージの山村は、貧しいイメージで統一されている。ただ、歴史をかじった人間から言わせると、そうじゃない説も存在する。農業収入が少ないから貧しい、というのは、米を中心とした年貢制に考えを置くからで、実際には山の豊かな萌み、狩りの収入、木材の収入、炭の生産など、多様な収入があったはずだ、という説だ。
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